テレビの報道番組で昨年度の自殺者が3万人を越えたと報じていました。
一緒にそれを見ていた高校3年生の息子がふと「不治の病で生きたくても生きれない人と死にたいと
思うほどつらくて死を選んでしまう人とどちらがつらいんだろう。」とつぶやきました。
サイモントン療法のセミナーに参加し、患者さんやご家族と触れ合った体験が、彼の命の尊さを深く
考える心を育んだようです。
「そうね。どちらもつらいよね。幸せだったと思って死にたいよね。そう思っている人は自殺なんかし
ないでしょうけど...」常に命と向き合う仕事をしていながら、即座に明確な答えの出せない自分に
もどかしさを覚えながらそう答えました。
仏教では、人の苦を「生老病死」と教えています。
生きることも老いることも病むこともそして死ぬことも同じようにつらいのです。
多分、自分の人生においてどのステージにいるかによって、生きていることが一番つらかったり、
老いることだったり、病むことだったり、死ぬことだったりするのだろうと思います。
命には必ず終わりがあります。
しかし、普段の私たちは、そんなこと深く意識もせずに生きています。
あたかも生きていることが、あたりまえのように...
死んでしまいたくなるほどつらい現実、死にたくないのに死んでしまうかもしれない現実、どちらも
体験した人でなければわからない苦しみです。
また、だれもが、この苦しみをいつ体験するかわからないというのも現実です。
人は、心で生きているという人もいます。
私もそう思うことがあります。
余命幾ばくもない身体の状況の中で、今生かされていることに感謝し、明るく希望に失わずにいる人
に出会ううとそう思わざるをえません。
そして、その人が最期まで輝いて幸福感の中で一生を終えることができたら、素晴らしいことです。
さて、息子の問いですが、生命の終わり方よりもその時の心のあり様がどうだったかということ、
旅立つ人がどういう思いであったか考えなければならないと答えましょう。
昨年、3万人もの人たちがどんな思いで逝ってしまったのかと考えると心が痛みます。
せめて、心が折れそうな時、今以上に職場や学校そして社会全体が、つらい、苦しいと訴えられる
環境になっていけたらと願います。
藤岡医院 カウンセラー
藤岡ふみよ
